
こんにちは、たま企画室です。
今日は、職人さんとの何気ない会話の中に感じた、少し深いお話をご紹介したいと思います。
実は、以前のブログ『顕彰碑のこと』でご紹介した案件が、いよいよ動き始めました。
顕彰碑の制作プロセスについては、改めてブログで詳しくご紹介する予定ですが、今回はその現場に関わってくださる職人さんと、現地確認に向かう道中で交わした会話について綴ってみます。
石を扱う者同士の会話は、やっぱり自然と石の話ばかりになります。
この日もそんな調子で話していたところ、職人さんがふと「自分はこんなお墓を○○墓地(職人さんの地元の墓地)に建てようと思ってるんだ」とおっしゃいました。 私は「いいですね~」と返すと、すぐに「何が?」と聞き返されました。
そこで私は、「亡くなった後にも楽しみがあるって、素敵じゃないですか」と笑いながら応えたのですが——
冗談のように聞こえて、実のところ、とてもまじめな願いなのかもしれないなと感じました。
終活というと、なんとなく寂しいもの、淡々とした準備というイメージがあるかもしれません。(※終活セミナーなどに参加した経験はないため、ここで書いていることは、あくまで私自身の個人的な考えや感じ方にすぎないことをご了承ください。)
でも、「自分はこんなお墓に入りたい」と明るく語るその姿には、ある種の前向きさや希望のようなものが感じられて、ちょっと嬉しくなりました。
死後の世界が本当にあるのかどうかは、私には分かりません。
けれど、「あったほうがいいか?」と考えると、やっぱり、あったほうが夢が膨らむような気がします。
自分が亡くなったあとに、おじいちゃんやおばあちゃん、そして私の恩師である小畠宏允先生にもまた会えるかもしれない。
あるいは、子どもや孫、そしてその先の世代を、あの世からそっと見守ることができるかもしれない。
そんなことが本当にあるかどうかは分からなくても、そう思える“場所”が自分のお墓だとしたら——そのお墓づくりには、やはり夢があると思うのです。
現世でどう生きるかを大切にしながら、その先にある世界にも想いを馳せること。
それこそが、古より伝わる石文化の根底に流れている“人の祈り”ではないでしょうか。そんなふうに思うと、現世での時間を精いっぱい生きることはもちろん大切ですが、その先に続く世界にも、ちょっとした夢や希望を感じられる気がします。
「現世もいいけれど、あの世も悪くないかも」
そんなふうに思わせてくれた、職人さんとの何気ない会話でした。
私たち石に関わる者は、そうした文化や祈りのかたちを、石という素材に託して表現してきました。
なぜ石なのか。それは、石が地球上でもっとも硬く、変わらぬかたちでそこに在り続ける存在だからです。
儚く移ろう(はかなくうつろう)人の想いを、あえてもっとも永続的なものに刻むことで、人は石に“特別な力”を感じてきたのではないでしょうか。
そうして刻まれた祈りのかたちは、時を超えてなお、静かに人のそばに残り続けているのです。
現世をどう生きるかを大切にしながら、その先にあるかもしれない世界にも思いを馳せること。
それは、石文化がずっと大切にしてきた、人と石との関わりのかたちなのだと思います。
石は、祈りや記憶をかたちにして、時代を超えてそこにあり続けるもの。
だからこそ、私たちは今も石に手を合わせ、語りかけ、心を通わせているのかもしれません。
ちょっと深すぎましたかね~。しかも長文…。
次回は、もっと気楽に楽しめる話を書こうと思いますので、どうぞお楽しみに!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
質問やご意見がございましたら、お気軽にコメントやお問い合わせをいただければ幸いです。
今後とも、たま企画室をどうぞよろしくお願いいたします。