
こんにちは、たま企画室です。
夏になると、あちこちでお盆の準備や帰省ラッシュのニュースを目にしますね。
「お盆=お墓参りと盆踊り」というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、その始まりをたどっていくと、実は日本だけの行事ではないことがわかります。
今日は、お盆のルーツをちょっと深掘りしてみましょう。
- 「お盆」という言葉のはじまり
お盆の正式な呼び名は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」です。
これはサンスクリット語の ullambana(ウランバナ)を音で写したものとされ、「逆さ吊りの苦しみ」という意味があると考えられています。
どうしてそんな物騒な意味なのかというと、古くインドに伝わるお話がもとになっているからです。
昔、目連(もくれん)というお坊さんが、亡くなった母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを知ります。
そこで、仏弟子たちに食べ物を施し、その功徳によって母を救った——この「目連尊者の故事」が『盂蘭盆経』に記されており、日本における盂蘭盆会の由来とされています。 - インドから中国へ、そして日本へ
この物語は、インドから仏教とともに中国へと伝わり、中国で行われていた「中元節」という行事と結びついて広まったと考えられます。
中元節は道教に由来する祖霊供養の日で、旧暦7月15日に行われます。
つまり、中国では仏教と道教の供養文化が融合していたわけです。
日本に伝わったのは7世紀ごろとされ、飛鳥〜奈良時代には宮廷で盂蘭盆会が営まれていた記録があります。
最初は仏教儀式として始まり、やがて貴族社会から庶民へと広がっていきました。 - 日本での発展と変化
日本のお盆には、古来の祖霊信仰というもうひとつの重要な要素があります。
日本人は昔から、お正月やお盆など節目の時に祖先の霊を家に迎え、共に過ごす習慣を大切にしてきました。
平安時代には、供物を供えたり舞楽を奉納する華やかな行事として発展。
鎌倉・室町時代には庶民の間にまで広まり、精霊棚、迎え火・送り火、盆踊りなどの習慣が形づくられました。
江戸時代には灯籠流しや地域ごとの祭りも加わり、今につながる多彩なお盆文化が定着していきます。 - 宗教と民俗、二つの顔
お盆には、仏教的な「先祖供養」や「施餓鬼」の意味がある一方で、民俗的な「祖霊を迎え、再び送る」という季節行事としての側面もあります。
この二つの要素が絶妙に混ざり合い、日本ならではのお盆が形づくられました。 - 現代のお盆
現代では、都市部への人口集中や核家族化など、生活や家族のあり方の変化によって、以前のような大掛かりな行事は減ってきています。
それでも、帰省やお墓参りを通してご先祖を思い出すひとときは、今も多くの人の心にそっと息づいているように思います。
今年のお盆、あなたはどこで、誰と過ごしますか?
インドの物語、中国の行事、そして日本の祖霊信仰——いくつもの文化が重なって、今の形になったお盆。
その背景を少し知るだけで、お墓参りの時間や家族との食卓が、ぐっと意味深く感じられるかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回ご紹介した内容は、あくまで私個人の考えや理解に基づいたものです。歴史や由来には諸説あり、もし異なるご意見や情報があれば、ぜひ教えていただければ嬉しいです。
また、「うちの地域では違うよ!」や「こういう説もあるよ!」というお話もあれば、ぜひ教えてください。
質問やご意見がございましたら、お気軽にコメントやお問い合わせをいただければ幸いです。
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