こんにちは、たま企画室です。
前回のブログ【大島石のこと 8寸角 大阪型】では、【大阪型】と呼ばれる【和型(角柱塔)】の墓石について少しご紹介しました。その際、伝統的なデザインや特徴にも触れましたが、今回は和型墓石(角柱塔)の形そのものについて、さらに詳しくお話ししたいと思います。
前回のブログをご覧いただき、「【大阪型】って何?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。実は和墓(角柱塔)には地域ごとにさまざまな形があり、例えば神戸型、徳島型、高知型、岡山型、広島型、名古屋型、関東型など、種類は非常に多岐にわたります。
和墓(角柱塔)の発生は江戸時代にさかのぼると言われていますが、庶民にお墓が普及し始めたのは江戸時代中期、特に17世紀後半から18世紀前半にかけてのことです。それ以前もお墓を建てる文化自体は存在していましたが、立派な墓石を建てられるのは貴族や武士などの特権階級に限られていました。しかし、江戸時代中期以降、経済の発展や寺請制度の広まりにより、庶民にもお墓を建てる習慣が一般的になり、地域ごとに特色のある和墓の形が生まれるようになりました。つまり、冒頭で紹介した○○型とは、それぞれの地方色を反映したものであり、和墓(角柱塔)の基本的な構造や意義そのものは変わりません。埋葬方法やお墓参りの方法などは地域によって異なるため、その土地に適した形や工夫が生まれたのでしょう。
またまた今回もブログが長くなりそうなので、改めて和墓(角柱塔)について近々ブログで書きたいと思っていますが、最後にこれだけはお伝えしておこうと思います。
和墓(角柱塔)は墓石の形状やスタイルを指す名称であり、五輪塔や宝篋印塔、宝塔のように仏教の教義(仏塔思想)が反映されたものではありません。そもそも「和墓」という言葉自体、仏教用語としては存在していません。
難しい話になってきましたね。こちらの内容についても、さらに詳しくお伝えしたいので、改めて別のブログでご紹介させていただきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。今後とも、たま企画室をどうぞよろしくお願いいたします。質問やご意見がございましたら、お気軽にコメントやお問い合わせください。